[また飲みましょう]社交辞令と嘘の境界、脈あり?脈なし?

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僕は、社交辞令だと気づかずに、つい攻め過ぎてしまうことがあります。




僕は社交辞令がわからない

「また今度、飲みに行こう」僕はこのセリフが苦手だ。

普段、友人知人からこう言われると、ついつい「いつ行きます?来週?再来週?何曜日?」とその場でスマホのグーグルカレンダーを開いてしまい「社交辞令なのに、こいつ本気になっちゃったよ」と相手の表情が曇る瞬間を何度も見てきたからだ。流石に空気の読めない僕でもこれなら社交辞令でしかなかったんだなと理解できてしまう。

しかし、ポーカーフェイスで「あとで連絡しますね」なんて保留されることもある。この場合、僕には相手が心の裡でどう考えているか皆目見当がつかないから、非常にタチが悪い。

要するに、相手のこの言葉が、社交辞令かどうか判断がつかないのが厄介なのだ。

「また飲みましょう」という恐怖の社交辞令

また飲みましょうと言われた時の、相手の本音

上述のように社交辞令で、挨拶のようにまた飲みましょうと言われることが日本人社会では本当に多い。

では一体、相手が社交辞令で言っているのか、本当にまた飲みたくて誘ってくれているのか、どのように見極めるべきか。

僕の場合はやはり単純に「いいですね!いつ行きます!?」とスケジュール帳を開く。

その時の相手の反応で見極めるようにしている。

提案した日が、相手にとって本当にダメなら「この日は?あの日は?」と3日くらい挙げて、それでもダメなら「じゃあ、都合いい日程を教えてください」と伝える。こちら側の誠意は十分尽くしたし、ボールはすでに相手側に渡った。

また飲みましょうと言われ、行きたくない場合の返事

相手が社交辞令で言っていようが、本気で誘っていようが、こちら側が行きたくない場合も多い。

だったらどうするか、きっぱりと「いや、あんたとはもう無理だ」と断りましょう。

…そんなことができたら悩まないですよね(笑

やはり「行ける日があったら連絡します」が、一般的に一番いいのではないかと思う。

そもそも、気を使わなくていい相手なら、社交辞令で「また飲みましょう」なんて誘ってこないだろうから。

さらに、相手方が本気で誘っているなら、もっと熱意を伝えてくるだろうし、その時に再考すれば良い。

また飲みましょうと言った時の、相手の本音

では、こちらが社交辞令で「また飲みましょう」と誘った時、相手はどう思っているのか?

「そんなん、知ったこっちゃない」

これでいいと思う。僕らはきっと、他人に気を使いすぎ。そんなことまで気にかける必要はない。

こちら側はただの社交辞令、挨拶で誘っているだけだ。多分相手はなんとも思っていないだろう。

また飲みましょうと誘った時、相手に脈あり?脈なし?

もし仮に相手が「誘われちゃった、どうしよう」と思ってくれていそうだったら、誘われた時のように「この日は?あの日は?」と畳み掛ければ良い。そして相手にボールを渡すのだ。

こちらがまた飲みましょうと誘った時、相手が脈ありか脈なしか判断したい時もこのように畳み掛ければ判断できる。脈なしの時は反応が悪いし、「連絡しまーす」とあしらわれるからだ。

初めてお会いした方と「今度、温泉行きましょう」という話になった

先日、初めて知り合った方と、「今度温泉行きましょう」という話の流れになった。

僕は「この方、面白いなぁ。今日お茶しただけだと物足りないなぁ。もっと色々なこと教えてもらいたいなぁ」と思っていたので、例のごとくその日の裡に日程を仮決めさせて頂いた。

クソ若輩者の僕なんかからすると、相手は知識も経験も比較することすらおこがましい程の先輩。「こんなつまんねーやつに、時間と金と体力使って小旅行なんてするかよ」と思われかねないということは自覚していた。だから、いつものように多少強引に誘うことには、多少の勇気が必要だった。

しかし、だからこそ、しっかりと今回の旅行(それどころか、まさに、裸の付き合い)をご快諾いただいて、嬉しかったのよ。

ちなみにその時の様子はこちらからどうぞ。

[旧金山温泉]台北郊外の旧金山総督温泉の行き方〜眺めがよく建物がおしゃれで人も少ない穴場だった

相手にその気がない時の態度はワンパータン

社交辞令で誘って来た人が、社交辞令のままやり過ごそうとする時はいつだってワンパターンだ。

「その日はだめ、あの日はだめ」と計画の自然消滅を図られる。「じゃ、大丈夫な日は?」と尋ねても回答は「また連絡しますね」的な。ぜってー連絡しねーくせに。

これはたまらなくさびしい。

金がないだの、家庭の都合がだの、他の理由をつけられることも勿論ある。面倒臭い人間だなあと思われても仕方がない。こうでもしないと「また今度、飲みにでも行こう」なんてことは、ほとんど実現しない。イヤなら初めっから誘わないで(社交辞令を言わないで)くれ、と思う。

そうは言っても、社交辞令抜きの世界は、それはそれで実際結構寂しい。

だから社交辞令を言われた方が本気にしてしまった、にも関わらず本来はその気がない場合は、素直に「ごめんなさい、ただの社交辞令でした、あなたと次の機会はありません」とお伝えいただくだけで十分だ。社交辞令で誘ったのに相手が本気になったから、しょうがなくもう一度付き合うかという気持ちになることだってあるし、そもそも僕の場合はそれを狙っている。

くどいようだけれども、社交辞令を言ってしまった手前、本気にしてしまった相手を断りづらくなり、ずるずると誤魔化し続けて、相手が諦めるのを待つ行為はさびしい(し、やっかいだ、これはもうただの嘘つきだろ)、というのが僕の考えである。

年末年始、日本の実家で

年末年始の連休で日本に帰郷した。僕の妻は台湾人なので、僕らはいわゆる国際結婚だ。親同士は結婚式で一度会ったのみ。それに加え、日本の親はまだ一度も僕らの住んでいる台湾へ来たことがない。だから親同士の親交を深める意味でも、僕らの生活拠点を知る意味でも、普段から「台湾へ行きたい、行きたい」と言っている。僕らとしても台湾の土地を、人を、家族を紹介したいと思っている。

ところが、話を聞くと、日本の母がパートを始めたらしい。「台湾に行くのはもっと難しくなるね」と、残念そうに呟いた。

これまで何度誘っても「いつか行きたい」との返事だった。言葉ではそう言うものの、あの人は何かと来ない理由を見つけてきてしまう。特に厄介な理由が「飛行機の乗り方がわからない」だった。その理由はすでに理解していたので、ちょうどいい機会だと思い、その場で僕が台湾へ帰る便と同じ航空券を探してみた。

空席があった。

金がないからという理由をつけられたらイヤだった(し、もしそうなら親は言い出しづらいだろうと思った)ので、その先回りも含めて「航空券買ってあげるから、僕らが帰る便で一緒に台湾行こうよ」と申し入れた。

結果、轟沈

やはりなんだかんだ理由をつけられてしまい実現しなかった。ここまで来るとそれらの理由が本当なのか、言い訳なのか、「台湾に行きたい」というのが社交辞令なのか、嘘なのか、僕には理解することは不可能だと思った。もし本当は台湾に来たいと思っていないのなら、もう台湾行きたいと言わないでくれと思う。

準備が徒労に終わるのは哀しいし、「おっ、とうとう来てくれるか」と期待を抱くのも、そしてその期待があっさりと裏切られてしまうことも、疲れる。

同じような考えを持っている友人

そういえば、同じような考えを持っている友人がいた。

彼とは台北で知り合った。初めて会った時の別れの言葉が「今度あらためて飲みに行きましょう」だった。いつもなら僕が「じゃ、いつにする?」と尋ねるところ、彼が先にそう言った。話してみると、彼も同じ考えの持ち主だった。それ以来、お互いそういう考えなので、会うたびに次の予定が決まった。会う頻度が高すぎると思った時なんかは、気をつけて、今度飲みに行きましょうなんて社交辞令を言わないようにした。きっと彼もその様にしていたと思う。

それは社交辞令を言いたくないから、嘘をつきたくないから、自分の言葉に責任を持ちたいからだったのだと思う。

彼とは頻繁に飲みに行っていたが、残念ながら最近別の国に転勤してしまった。

「どこそこに行きたい〜」と言いつつ、全く行動に移さない人

社交辞令ならしょうがないけど、本当に来たいなら、それこそ台湾なんて1泊でも楽しめるし、費用だって数万円あればなんとかなる。

ウチの母のように「行きたい、本当に。でもダメなのよ」と言いつつ、枝葉末節のくだらない、対して重要でもない理由を挙げる人の考えが全く理解できない。どうしても実現不可能というわけでなければ、細かいことにとらわれずやりたいことはやればいいと思う。

僕は比較的自由にそうしてきた。行きたいとこには行くし、遊びたいときは遊ぶ、飲みたい酒は飲む。

その結果、いま貯金がなくて苦しいです。だれか100万円ください。。

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以上、[また飲みましょう]社交辞令と嘘の境界、脈あり?脈なし?、でした。

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