「台湾人であれば台湾語を話せる」「台湾人は親日だよね」の危うさ

最終更新日

台北九份
台北九份

先日、ツイッターの台湾界隈で炎上事件がありました。

内容は政治や歴史に関することだったので、僕ごときは意見する立場ではないと思い言及を差し控えますが、リプ合戦の中で一つとても興味深く、そして普段からモヤモヤしている言説について、モヤモヤを晴らすヒントがあったような気がしたので、ここに書き残しておきたいと思います。

ちなみにそのリプとはこんな感じでした。

「台湾には自称台湾人の中国人が沢山いる(つまり台湾人ではない人)」

「台湾語が話せない人は、台湾語を話せる人たちからバカにされている(台湾人ではないのに台湾人のフリしているので)」

「台湾人であれば台湾語を話せる」の危険性

このツイートでは明らかに「台湾人であれば台湾語を話せる」ということを主張しています。

これだけだったらなんでもないような気がしますが、しかし同時に「台湾語を話せなければ台湾人ではない」ということの主張、になってしまってもいるのです。

今回この一言が「台湾語を話せない台湾人も明らかに存在するのに、そうでなければ台湾人ではないというのは横暴(横暴でなければ無知)だろう!」と、一連の炎上に注がれる大量の油になったわけであります。

ところで今、僕が言葉を弄って意図的に微妙に違う意味合いに誘導したかのようですが「台湾人であれば台湾語を話せる」なら「台湾語を話せなければ台湾人ではない」というのは論理学での対偶論法と呼ばれるものでして、割と有名な言葉の変換方法であります。

対偶論法とは

対偶論法についてちょっと説明すると、

 「○○であれば××である」ときには「××でなければ○○でない」

と言い換えられるという論法です。(○○と××を互いに否定して、入れ替えます)

 

わかりやすい例を挙げると、以下の通りです。

 例1)日本人であれば地球人である

 →地球人でなければ日本人でない

 

 例2)人間であれば動物である

 →動物でなければ人間ではない

よく考えるとこの対偶論法というのは「そりゃそうだろ」と思えるはずです。

つまり「当たり前」のことを、言葉を変えて表現しているにすぎないわけです。

対偶論法を用いることによる効果

ところで、この世界では言い換えによる視点の変化で、見えていなかったところが見えるようになることが多々あります(見えづらかった部分が見やすくなる、の方が近いかも)。

 

もう一つ例を挙げると「飛べない豚はただの豚だ」という有名なセリフがあります。

 

これに対偶論法を適用すると「ただの豚ではないなら飛べる豚である」となります。

 

つまり「飛べない豚はただの豚だ」というのは「俺は特別な豚だから、空を飛べるんだぜ」という意志が、強く、感動的伝わってくるのであります。

これがいわゆる「文学的表現」だったりします。

 

あのセリフがもし「俺は特別な豚だから、空を飛べるんだよね」だったら嫌味くさくて興ざめです。

 

このように、対偶論法を用いると見えづらかった部分が見やすくなることがあるのです。

そして、僕はこの炎上事件を横目で見ながら、普段モヤモヤしている、モヤモヤしているけどイマイチうまく言語化できていなかったコトを想起し、同時にそのモヤモヤがパッと晴れてスッキリしたのであります。

「台湾人は親日である」の誤謬

僕が普段モヤモヤしている言説というのは「台湾人は親日である」です。

 

多くの台湾人が親日なのはよく知られているし、個人的にそのように感じることも多いです。しかしながら、親日でない台湾人がいるのは、厳然とした事実でもあります(日本がキライだ、という感情ももちろん、日本に興味がないことも含みます)。

 

問題なのは「台湾人は親日である」という言説は多分に「台湾人であれば親日である」という命題と重複しており、そしてしばしば混同されてしまっていることです。混同されなければよいのですが、いざ混同されてしまうとどうでしょう、「台湾人は親日である」という言説が、「親日でなければ台湾人ではない」と結びついてしまう危険性を孕んでいるのであります。

 

そういうことで、ようやく言語化できましたが、モヤモヤの正体はきっとこれです。

 

「台湾人は親日だ」と聞くと「親日じゃないと台湾人じゃない」と聞こえることがあるのです。

「中国人・韓国人は反日である」ということ

以上のことを改めてまとめると、

 

 「台湾人は親日だ」は「台湾人なら親日だ」に混同しやすい。

 →「親日でないなら台湾人でない」という主張に聞こえてしまって、危険だよ。

 

ということであります。

 

この流れを「中国人・韓国人は反日である」という「台湾人は親日である」と兄弟のような言説に置き換えると、もっとわかり安い結果になります。

 

 「反日でなければ、中国人・韓国人ではない」

 

これは、さすがに、中国人・韓国人に親しみがない人でも違和感を覚えるのではないでしょうか。

「台湾には親日の人が多い」で誤解は避けられる

ということで「台湾人は親日だよ」という表現は時に人をモヤモヤさせます。

そのモヤモヤの原因は「親日じゃなければ台湾人ではないよね」という、極めて強烈な、そして明らかに事実とは異なるメッセージへの違和感からくるものであります。

「親日じゃなければ台湾人ではない」「台湾人であれば全員もれなく親日だ」と意識的に考えている(信じている)人以外は、安易に「台湾人は親日だよ」というのではなく「台湾には親日な人が多いよね」くらいにしておいた方がよろしいのかもしれません。

 

あー言語化できてスッキリした。

 

※「私は中華民国人であり、台湾人ではない」ってアイデンティティの人もいますよね。今回は台湾人ってひとまとめにしてしまったので、不快に思われた方いたらゴメンナサイ。

1件のコメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

コメントする