[台湾歴史]二二八事件(228事件)をわかりやすくまとめて解説

公開日:2019年4月15日
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二二八紀念館にある被害者名簿
二二八紀念館にある被害者名簿

台湾の歴史的大事件である二二八事件についてわかりやすさと簡潔さを心がけてまとめました。

 

台湾の二二八事件は、台湾に関心があるなら一度は耳にしたことがあると思います。

しかし70年以上前の出来事だし、しばらく社会ではタブーとされていたためあまり話題になることがありません。

そこで、わかりやすさを重視して、簡単に理解できるようにまとめました

 

今回の内容はこの事件の概要をメインに、ご自身で調べるための関連施設・関連図書を紹介しています。

この記事を最後まで読めば、一通り理解できるはずですので、台湾を知りたい人は是非読んでみてください。




台湾の二二八事件とは

まず、台湾の二二八事件とは、1947年2月28日に台北市で勃発し、台湾全土に広がった内戦です。

1947年なので、中華民国が台湾を接収してから1年半後のできごとです。

 

この事件の主な内容は本省人中国国民党の争いです。

当時台湾を牛耳っていた中国国民党が中国大陸から軍隊を派遣してきて本省人を武力で制圧

戒厳令が敷かれ、台湾人が中国人に理由もなく殺されまくるという恐ろしい出来事でした。

 

また、この事件の2年後の1949年には再度戒厳令が敷かれました。

これは解かれることなく世界最長の38年間続き、白色恐怖(白色テロ)と呼ばれれることとなりました。

 

1947年の二二八事件1949年以降の戒厳令台湾戦後の二大事件です。

 

このどちらも、台湾の暗黒歴史であり、その後の台湾を左右する大きなターニングポイントとなった事件です。

二二八事件の背景と当時の基礎知識

台湾の二二八事件

二二八事件の背景について、上述の通り簡単に説明しましたが、改めて基礎知識を整理します。

台湾は1895年〜1945年まで約50年間日本だった

台湾は1945年まで日本国の一部でした

 

ポツダム宣言を受諾して第二次世界大戦が終結日本が台湾を放棄させられると、続いて中華民国が台湾にやってくることになりました。

中華民国の中国国民党です。

 

日本が台湾領有を放棄した後は、連合国たち(アメリカ、イギリス、中華民国)「日本がいなくなった後の台湾は蒋介石に頼むわ」と、こっそり約束していたからです。

日本が統治する前の台湾は一応清国所属だったので、台湾人は台湾が同胞の元に戻ると期待したかもしれません。

本省人と外省人

外省人とは

このようにして台湾に中華民国人がやってきます。

この時やってきた人たちを外省人と呼びます。

 

外省人には中国国民党の軍人・役人以外にも、商売などで移住してきた人たちもいました。

本省人とは

外省人に対して、終戦前から台湾にいた台湾人本省人と呼びます。

ちなみに彼らは「台湾人」ではありますが、事実上中華民国に吸収されたかたちになったので国籍上は今も中華民国人です。

 

インターネットもない時代、「中国人」がどんなかを知らない台湾人は現れた中華民国人を見てびっくりしました。

どうびっくりしたかは、僕らが日本に来る中国人を見て思う感想と似たようなものかもしれません。

なぜなら、1945年当時の台湾は世界でもかなり進んでいる教育水準だったからです。

中華民国に吸収された台湾

このように戦後、日本人が台湾からいなくなり、台湾は中華民国に吸収され、中国国民党に支配されます

 

台湾人は「日本人がいなくなって、台湾がようやく台湾人の社会になる」と思っていたのに、支配層の日本人が外省人に変わっただけでがっかりしたことでしょう。日本人から中国人に変わって、当時の台湾人はどう思ったでしょうね。

自然に考えて不満ですよね、だって自分たちで自分たちの生活ができると思っていたのに、元同胞?とはいえ色々と違う人たちに支配されるんだから。

こうして、こないだまで日本人として過ごしていたのに「お前ら今度から中国人な」となったわけです。

もちろん公用語は日本語から中国語へといきなり変わりました

(日本語も、台湾語も、客家語も禁止されました)

本省人と外省人の対立

本省人ももともと清国所属の漢民族だったにも関わらず激動の20世紀前半を日本人として過ごせば、考えも文化も日本人化するでしょう。

日本の台湾統治は約50年間ですから、日本人として生まれ、日本人として育った人が大半です。

 

そんなところに外省人が我が物顔でやって来るわけです。

現代に本省人・外省人というと「出自は違うけどどちらも台湾人」という認識が一般的ではありますが、終戦直後であればそれぞれ「日本人・中国人」と表現した方が感覚的に近しいかもしれません。

それこそ50年間の日本統治があったため、21世紀の今でも外省人を嫌う本省人は「支那人」と呼ぶことがあります。

 

つまり、中国人が台湾にやってきて、台湾人は期待はずれに感じました。

外省人も無駄に知識があってクソ生意気でいうことを聞かない台湾人を日本人みたいでムカつくと不満を募らせます。

 

それに、当時は国共内戦、つまり中華民国の中で中国国民党は中国共産党との内戦をしていました

だから台湾で取れたコメとかを中国大陸の戦地に送られちゃって、食べ物とかなくなっちゃって、ハイパーインフレになったり。

 

この時に、今でも使われている「ニュー台湾ドル」が使われ始めました。

 

つまり、日本人が台湾からいなくなり中国人が来て、台湾は政治面・経済面で大混乱しました。

 

これが世に言う「犬が去って、豚が来た」状態です。

二二八事件の始まり

二二八事件の始まりは、ウィキペィアによると、

闇タバコを販売していた本省人女性に対し、取締の役人が暴行を加える事件が起きた。これが発端となって、翌2月28日には本省人による市庁舎への抗議デモが行われた。しかし、憲兵隊がこれに発砲、抗争はたちまち台湾全土に広がることとなった。

あくまでもこうなってますが、この時にはもう本省人の不満が爆発寸前で、これをきっかけに爆発したんでしょうね。

 

現場では今、このような説明が残るのみです。

ニニ八事件の説明書き
ニニ八事件の説明書き

ちょうど訪れた時に、小さな花が添えられていました。

 

台北駅から歩いていける場所にあります。

住所:台北市大同區南京西路185巷

二二八事件の経緯

各地で混乱

この騒ぎが台北で始まり台湾全体に伝播しました。

 

戦中、NHKの台北支局だった今の二二八紀念館から、本省人が台湾全土の本省人に立ち上がることを呼びかけました。

陳儀の裏切り

陳儀

陳儀という人は初代台湾省行政長官

 

本省人の暴動を「妥協するから仲良くしようぜ」となだめつつ、裏では蒋介石に軍隊の派遣を要請していました。

2月28日に戒厳令を出し、翌月2日に取り下げますが、3月8日の大陸からの援軍到着を待って3月10日に再度戒厳令を敷いて、本省人を殺しまくります。

 

どう考えてもやり方が汚いですが、当時の本省人はこういう汚いを使ってくるなんて思いもしなかったのでしょう。

そのくせ、陳儀は翌年、共産党に寝返ろうとしたのがバレて処刑されました。

歴史に残るクソ野郎です。

 

その後中国大陸で中国共産党が作った中華人民共和国で「国民党に殺された愛国者」って評価を得てるらしいです。

蒋介石の指示

蒋介石がたくさん

「台湾の騒ぎの鎮圧は陳儀にまかせた」といい、台湾人を殺しまくる指示をした蒋介石

 

その後、国共内戦の劣勢でにっちもさっちも行かず、みんなで台湾まで後退して来ることになります。

 

台湾海峡を挟み、国共内戦はにらみ合い、そのまま70年経過して今に至ります。

基隆大虐殺

基隆港
基隆港

蒋介石の援軍は3月8日に基隆港にやってきました。

 

多くの台湾人が意味もなく殺されました。

高雄大虐殺

旗津から台湾海峡を望む

蒋介石の援軍は高雄港にもやってきました。

 

こちらでも多くの台湾人が意味もなく殺されました。

二二八事件から10日間

この事件で多くの方々が犠牲になり、結果、2万から3万人が殺されたそうです。

なんども言いますが、国家の転覆を図るようなクーデターではないのに、中国国民党は台湾人をこんなに多く殺しました。

二二八事件のその後

その後、中国国民党が中国共産党に負ける事が濃厚となったこともあり、世界最長の戒厳令が敷かれます。

中国国民党は1949年から1987年まで38年間も台湾でやりたい放題をしました。

 

気に入らない人がいれば捕まえて拷問して殺す。

台湾人にも仲間の密告を奨励して疑心暗鬼に陥らせる。

 

こんな恐ろしい時代のことを白色テロ(白色恐怖)と呼んでいます。

 

外国人の私には言いづらいですが、自他共に認める台湾の歴史上、最大の汚点です。

二二八事件を理解するために

以上、二二八事件についてザッとまとめました。

 

個人的なバイアスも働いていると思うので、もし興味がある方は関連の施設や書籍で勉強してください。

そして自分なりの考えを持ってください。

 

次に、二二八事件について僕が知っている施設や図書などをまとめました。

二二八事件と白色テロを理解するための施設

二二八事件白色テロに関する代表的な施設は、台湾に3箇所あります。

[台北市内]二二八紀念館

二二八紀念館
二二八紀念館

台北市の二二八和平公園にある紀念館です。

 

二二八和平公園は台北駅から歩いても行けますし、MRTの台大医院駅を出てすぐのところにあります。

二二八紀念館の中
二二八紀念館の中

当時、ここは台湾放送協会台北支局庁舎として使われていました。

今でいうところの「NHK台北支局」的な存在です。

 

なので、1945年8月15日の玉音放送もこちらから中継放送されました

 

今、この施設内には二二八事件の展示が多くあります。

あまり大きくない施設ですが、資料が多く、ゆっくり見ると1日かかります

もちろんザッとみたら30分程度で一周することはできます。

 

平日は入館料が20元ですが、休日は無料です。

日本語の音声ガイドもあるので、ゆっくりと勉強してみると興味深い歴史を知ることができます

 

隣には中華民国総統府があり、中正紀念堂もすぐそばにあります。

中正紀念堂は蒋介石の紀念施設です。

 

蒋介石の像がこの場所を向いているのがなんとも不愉快です。

(本当はその奥の中国大陸をみています)

[台北郊外]白色恐怖景美紀念園区

白色恐怖景美紀念園区
白色恐怖景美紀念園区

次に、台北郊外の景美に監獄を再利用した、各資料が展示されている場所があります。

 

本当に当時使用されていた監獄なので、雰囲気がかなり生々しいです。

中にはいろんな資料があります。

また、収容されていたところも残っています。

 

台北郊外で、MRTも通っているので比較的容易にアクセスできます。

ご興味がある方は是非行ってみてください。

[緑島]白色恐怖緑島紀念園区

国防部緑島感訓監獄
国防部緑島感訓監獄

最後に、白色テロ時代の刑務所である国防部緑島感訓監獄の跡がこちら。

 

今でこそ緑島は海か綺麗なリゾート離島です。

しかし、当時は政治犯の疑いをかけられた方は島流しにされて、ここに収容されていました。

緑島監獄の外壁
緑島監獄の外壁
緑島監獄の中
緑島監獄の中
緑島監獄の中
緑島監獄の中
緑島監獄の中
緑島監獄の中

こちらも景美とおなじ元監獄なので、雰囲気が生々しいです。

 

アクセスはかなり悪いですが、旅行ついでに行ってみてください。

夏がおすすめ。

二二八事件を理解するための書籍

続いて、書籍を紹介します。

門田隆将「汝、ふたつの故国に殉ず」

汝、ふたつの故国に殉ず
汝、ふたつの故国に殉ず

まずは、門田隆将さんのノンフィクション。

これはまぎれもない傑作です。

 

内容は、当時の日本人と台湾人のハーフであった湯徳章さんの物語です。

人生がとにかく波乱万丈なので、ボロボロ泣きながら読みました。

 

時代に翻弄された人生で、最後は二二八事件の犠牲になります。

なので、二二八事件の雰囲気についてかなり詳しく描かれています。

著者門田さんの取材と想像に基づいて描写されており、台湾でも一斉を風靡しました

 

湯徳章さんのお名前は、二二八記念館の被害者名簿にも見ることができます。

非常に勉強になるので、おすすめの1冊です。

司馬遼太郎「街道をゆく 台湾紀行」

街道をゆく 台湾紀行
街道をゆく 台湾紀行

次に、司馬遼太郎の「街道をゆく 台湾紀行」

 

司馬遼太郎が台湾の奥深さにハマり、やたらと詳しく色々と解説をしています。

豆知識や知られざるエピソードも豊富なので、非常に面白いです。

これが30年も前に書かれたなんて信じられないくらい、今も色褪せない名著です。

 

そのエピソードの一つとして、二二八事件に関しても触れられています。

Amazonで売ってます。

漫画 台湾二二八事件

漫画台湾二二八事件1、2ページ
漫画台湾二二八事件1、2ページ

二二八事件についての漫画。

 

僕が世界で一番228事件を簡単に理解できると思う漫画の電子書籍版です。

書籍を読むのが一番タメになりますが、この本はとにかく大雑把にわかりやすく全体的に理解することができます

ページ数もあまり多くなく、ザッと読めてしまうので、手軽に理解するには一番おすすめです。

 

こちらのサイトで無料立ち読みと購入ができます。

台湾の二二八事件を理解するための映画

最後に映画を一本紹介します。

侯孝賢「悲情城市」

非情城市
非情城市

映画「非情城市」です。

 

これは1945年から1949年までの、まさに二二八事件の前後関係を描写した作品です。

当時は中国国民党が戒厳令を敷いていたので長い間タブーとされていた二二八事件を、戒厳令が解かれた直後に制作されました。

 

戒厳令が厳しく敷かれていたので、台湾人の若い世代は当時この事件について知られていませんでした。

そんな内容なので、台湾で公開されるよりも先に海外で評価を得ました。

 

「時代」を描いた不朽の名作です。

「悲情城市」を観たので、あらすじと感想と台湾の歴史をまとめました

台湾の二二八事件まとめ

長くなってしまいましたが、二二八事件は台湾を深く理解するためには必要な知識です。

 

ところが今の台湾の若者は2月28日をただの連休としか思ってなかったりもするらしいです。

 

いや、悲しい歴史なんて忘れてしまった方が、知らない方がいいのかもしれません。

でも、まぎれもない事実なんですよ。

 

この犠牲のもとに、私たちはいま台湾を楽しませていただいているんです。

ちょっと知るだけで今までとは違った角度から台湾を見られるようになるかもしれません。

  

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