[台湾映画]「悲情城市」を観たので、あらすじと感想と台湾の歴史をまとめました
はいどうも、台湾で映画を観る人です、こんにちは。
台湾映画「悲情城市」を観たことがありますか?
「千と千尋の神隠し」で有名な九份、昔は「悲情城市で有名な」場所だったんですよ。
この映画、僕は、今よりももっと台湾を知らなかった頃に一度観ました。
観ましたが、事前情報がなさすぎて「ただ観た」という記憶しか残っていません。
今回機会があったので、改めて見直して観ました。
なのであらすじと感想と、理解するためのキーワードをまとめました。
目次
台湾映画の古典「悲情城市」を観た
YouTubeに日本公開時の予告が転がっていました。
これは1990年当時の映像作品と思われるので、年季がすごいです。
悲情城市のあらすじ
さて「悲情城市」は、1945年8月15日の正午から物語がはじまります。
ご存知の通り、1945年8月15日は我々日本人には特別な意味を持っている日です。
そう、まさに終戦記念日。
戦争に負けた日です。
「特別な意味を持っている」のは、実は台湾人にとっても同じです。
日本の無条件降伏により、それまで日本に割譲されていた台湾は放棄させられたからです。
(実際は52年のサンフランシスコ講和条約で決定。カイロ宣言で内定してた)
台湾が放棄されたので、中華民国がやってきました。
(実際の順番は中華民国が来た→日本の台湾放棄ですが、概念的には入れ替わり)
入れ替わりで中国人が来たため、同じ漢民族どおし、うまくやれそうなもんです。
「台湾人」たちはさぞ期待したでしょう。
しかし、そんな簡単に行きませんでした。
この映画の主人公家族たちはヤクザまがいの家業を行なっていました。
新しく来た中国人ヤクザたちとも争いがおこりました。
この映画では政治的、経済的に歴史の混沌に巻き込まれる台湾人家族を描いています。
この舞台が九份(のあたり)なわけです。
悲情城市の歴史的背景
台湾の日本時代
台湾は1895年から1945年までの51年間、日本の一部でした。
台湾は1895年に日清戦争で日本に割譲されました。
その後、約50年間、第二次世界大戦で日本が敗戦するまで日本でした。
その間に大正デモクラシーもありました。
台湾は当時、「外地」だったので「内地」とまるっきり同じ政治体制というわけではありませんでした。
なので台湾では「台湾人」の権利向上を民主的に求めていたりもしていました。
この「民主的」に権利を主張することが、当たり前にできていたことが、結果的に228事件ではアダになるわけです。
日本の台湾放棄
そして戦争が終わり、「日本人」が引き上げます。
中華民国の台湾接収
日本人が引き上げ、代わりに中華民国人がやってきました。
台湾人(の大部分)は同じ漢民族なのでうまくやれると期待しました。
しかし、台湾人は台湾語(と日本語)、中国人は中国語を使います。
普通の台湾人は中国語は喋れないですし、逆もまた然りです。
言葉だけでなく民度も違います。
台湾人は50年間も「日本人」として生活して来ました。
明治・大正・昭和の50年間は長いですよ。
同じ漢民族だからといって、文化が違いすぎてスムーズに同化できるわけがありません。
色々と揉めました。
二二八事件と白色テロ
色々と揉めた挙句に、1947年2月28日に二二八事件が起こります。
中国人たちが台湾人たちを殺しまくります。
中国人は「一旦停戦して話し合おう」とか「お咎めなしにするから武装解除して?」とラジオで流します。
台湾人代表もこの「民主的」な解決法に同意しました。
しかしこれはウソで、中国大陸から援軍を迎えるための時間稼ぎでした。
このだまし討ちをした卑怯な親玉の陳儀がラジオ放送している様子も映画で描かれています。
その後、援軍を迎えた中国人はさらに台湾人を殺しまくります。
町中でとにかくいろんな台湾人をひっ捕まえて、殺しまくります。
恐ろしいです。これが劇中で描かれています。
この時に陳儀は戒厳令を敷きます。
一旦戒厳令は解かれますが、1949年に再開した戒厳令は1987年まで続きました。
この間は中国国民党に楯突くと殺されました。
「あいつらなんか企んでるらしいよ」と密告されても同様です。
疑心暗鬼の38年間が「白色テロ」と呼ばれています。
(共産党が赤だから、国民党は白と例えると覚えやすい。)
(あと、中正紀念堂の「衛兵」も白い服きてますね。)
中華民国の台湾臨時遷都
物語後半、時間が進み1949年になります。
この時に中国での国民党と共産党の「国共内戦」は、国民党の負けにほぼ勝敗がつきます。
そして国民党は台湾に首都を「一時的に」移しました。
悲情城市を観た感想
この映画は1989年の公開です。
戒厳令解除が1987年なので、直後の制作です。
だからこそ、この映画が古典であり、いつまでも名作なわけであります。
僕がまず見たのが「外省人」と「台湾人」の対立。
一言で表現するとこうなんでしょうけど、一言で表現仕切れるわけありません。
次に見えたのが台湾人の悲哀。
台湾人は日本時代には心無い人に「中国人」と罵られました。
戦後、その中国人には「日本人」と罵られました。
予告YouTubeでもその不満について語るシーンがあります。
「日本人」の僕には、こういう気持ちを想像することしかできないのかもしれません。
悲情城市を観た、まとめ
名作。
まとめると、この映画は九份の林さん一家とその周辺の物語です。
長男は中国人ヤクザに殺され、
次男は日本人として戦争に行ったまま帰って来ず、
三男は戦争のトラウマを抱えつつ、スパイ密告で拷問され、
四男は最後の最後になぜか外省人に捕まってしまいます。
映画のタイトル「悲情城市」の意味は「かなしい町」ですが、
この「町」の意味するところは舞台の「九份」のことだけなのでしょうか。
それとも…
悲情城市を観る方法
この映画はネット動画では見つけられませんでした。
なので、観るためにはDVDの購入かレンタルしかないと思います。
→DVDはamazonで見つけました。
あとは町の図書館とかにあるかも。
悲情城市を理解するために
最後に、この映画を理解するための独善的なご案内です。
「個別の内容について僕のブログ記事」
・台湾と中華民国と中国について
・228事件についてもうちょっと詳しく
「二二八事件を簡単にわかりやすく理解するための本」
・「漫画 台湾二二八事件」
僕が世界で一番228事件を簡単に理解できると思う漫画。
わりとあっという間に最後まで読めちゃう上に、理解がかなり深まります。
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私も台湾の人達がこんなに悲惨な目に遭っていたとは2020年の8月の今の今まで知りませんでした。そしてやはりネット配信は無いので、お安いDVDを目を皿のようにして探し出し、丁度終戦の日に視聴することができました。この世界的な名作をコロナ禍の今、生きているうちに何とか観ておきたいと思ったからです。血なまぐさい場面は思ったほど多くなかったけれど、文清が、殴り殺されそうになる場面、真に迫っていて、手に汗を握りました。ヤクザ達の喧嘩シーンもヒヤヒヤしました。梁朝偉の表情は豊かで、流石に香港映画のスターですね。寛美と二人の中睦まじい美しさ、突然流れるローレライ。林家は裕福で、お祖父さんの李天祿はヤクザだけれど、いつも定位置でご飯を食べていて、一家を纏めている。侯孝賢監督の作品には、一緒にご飯を食べることで家族が纏まっているという意味があるのかといつも思います。そして監督がインタビューで言っていたけれど、リハーサルはしない。それが名作を生み出している秘密なのだと思います。