[問題]台湾が中国大陸に確保している土地は金門島と馬祖列島、ですが、最後に失ったのはどこでしょう?

永和綠寶石綠地
永和綠寶石綠地の夕日

はいどうも、台湾で台湾の歴史を興味本位で調べてる人です、こんにちは。

 

みなさん結構、金門島のこと好きじゃないですか。

やっぱり国共内戦最後の大規模な国民党軍の勝利といえば金門島です。

だからこそ今の「中華民国:台湾」を維持できていたりします。

その戦闘を日本人が指揮していたってのも大きいかもしれません。

 

で、もう一つ中国大陸に残ってる中華民国の土地が馬祖列島ですね。

つまり、中国大陸にまだある中華民国の領土は、この金門島・馬祖列島だけなんですよ。

 

では、その直前の1つ(最後に失った大陸の土地)はどこ?っつーのが今回のテーマ。

 

これまたいろんなドラマがあるわけですよ。

台湾が最後に失った中国大陸の土地は「大陳島」

ということでいきなり正解ですが、答えは大陳島です。

 

大陳島の位置は上の図の通りです。

現在は中共に奪われつつも大陈岛という名称で残っています。

馬祖列島のもっと奥側、上海のすぐ手前です。

 

国共内戦をもう一度振り返ると、

中華人民共和国建国宣言が1949年10月1日

金門島の戦いが1949年10月下旬

で翌年に朝鮮戦争が勃発して、中共は北朝鮮を支援するために国共内戦は一旦そっちのけ

 

朝鮮戦争が一区切りついたので、ついに中共が1955年1月の「一江山島」を奪いにきました。

この島は大陳島のちょっと大陸側

ここを落とされたことで大陳島も時間の問題だということになりました。

また、アメリカの助言「そこは諦めたら?」もありました。

 

ということで、台湾に大陳島の住民・軍人を撤退させることにしました

これが世に言う大陳島撤退作戦です

大陳島撤退作戦(Wikipedia)

 

ここは中華民国最後の浙江省でした。

ここを撤退したことで中華民国「台湾省」「福建省(の一部)になってしまったわけです。

ちなみに蒋介石浙江省出身なので、撤退したくなかったでしょうね。

 

その後、大陳島民は元々の職種などによって台湾各地に移住したそうです。

 

そんな中、台北郊外の永和に、その最も大規模な移住村があるということがわかりました。

 

こりゃ、興味津々ですよね?

行ってみたくなりますよね?

 

ということで、行ってまいりました!

永和にある大陳島の移住村「五和新邨」に行ってきた

永和にある大陳島の移住村は、いまは五和新邨と呼ばれています。

 

MRTだと頂溪駅から歩いて行けます。

五和新邨の場所
五和新邨の場所

頂溪駅にあった地図。

五和新邨までの文化路
五和新邨までの文化路

頂溪駅を出てすぐ、文化路を西に向かいます。

五和新邨までの文化路
五和新邨までの文化路

この文化路をひたすらまっすぐ。

早歩きで十分くらい。

五和新邨の入り口
五和新邨の入り口

たどり着きました。

大陳島の移住村「五和新邨」の様子

写真の通り、村の入り口になんか建ってます。

五和新邨
五和新邨

左側がこんなの。

五和新邨の碑文
五和新邨の碑文

裏にこう書いてありました。

「元々は違うところにまとまって住んでたけど、水害が多く、改めてこっちに引っ越してきた」そうです。

 

で、もう一方がこちら。

五和新邨の碑文
五和新邨の碑文

民国44年は、つまり1955年

「18000人程度が移住してきて、いまや10万人にもなった。

 台湾は(中共と違って)自由だし、今は繁栄してるし、移住してきてよかったでしょ?(意訳)」と書いてあります。

 

奥の方を歩いてみました。

五和新邨の街角
五和新邨の街角

「村」の中に入ってみましたが、僕にとっては一般的な「台湾の街角」でした。

五和新邨の街角
五和新邨の街角

 

この「村」の中央を縦断するように「新生路」という細い道が通っています。

きっとそういう意味(願い)なんでしょうね。

五和新邨の街角
五和新邨の街角
五和新邨の街角
五和新邨の街角
五和新邨の街角
五和新邨の街角

大陳島名物?の年糕

で、「なにか名物的なものはないのかな」と探していたらありました。

五和新邨の街角
五和新邨の街角

大陳年糕のお店のようです。

年糕とは日本の的なもの。

 

実際購入して持ち帰ってみました。

五和新邨の大陳年糕
五和新邨の大陳年糕

バチボコ巨大です。

白いの(2本に見えますが4本)と、黒いの、併せて200元でした。

 

包丁で切って、茹でたり蒸したり焼いたりして食べます。

白い方は「韓国のトッポギ」のおばけバージョン。

味も食感もほぼ同じですが、とにかく大きさがすごい。

半本たべたらお腹いっぱい。

 

黒い方は黒糖蒸しパンのような味わい。

 

もち米を使わず、蓬莱米だけで生産しているそう。

「大陳島に蓬莱米ってあるの?」ってツッコミは禁止です。

大陳島の村の場所と行き方

MRTの頂溪駅から歩いて15分くらい。

台湾が最後に失った中国大陸の土地は「大陳島」、まとめ

国に歴史ありですよねえ。

この1955年に移住してきた人たちは台湾移住後、大変な苦労をされたそうです。

台湾語喋れないし。

内職などをして食いつないだそう。

そう、輸出用のクリスマスツリーの装飾品とかを作ってたそうです。

 

思い出しません?

映画「幸福路のチー」で、台湾人はクリスマスツリーの内職して食べてた時期があるって描写ありましたよね。

あれの世界です。

 

と、いうことで、本日はここまで。

ありがとうございました。

 

 

<おまけ>

・頂溪といえば、夕焼けと麺をどうぞ

→リンク:頂溪で食べた陽春麺と見えた夕焼けがすげー良かった

 

・そのほか併せて関連の弊ブログ記事もどうぞ

→リンク:台湾の金門島とは?

→リンク:台湾の馬祖列島とは?

 

・中央研究院社会学研究所の論文(めちゃくちゃ面白い)

從「大陳義胞」到「大陳人」〜社會類屬的生成、轉變與意義

・私立及人小学校の「大陳人」研究ページ(わかりやすい上にインタビューとかもある)

飄洋過海60年大陳人在永和

 

・最後に蛇足

かの有名な映画際の名称は金馬奨ですけど、これは金門島の「金」馬祖列島の「馬」由来です。

ついでに、受賞者は金色の馬のトロフィー持ってますけど、あれ、シャレですからね。

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