[台湾歴史]北斗の武徳殿に行ってきた、けど無くなってた
はいどうも、北斗で武徳殿を巡りをしてる人です、こんにちは。
台湾には日本時代の武道場である「武徳殿」という建物が残っています。
当時は日本中に武徳殿が建てられたため、もちろん台湾にも存在していました。
個人的に興味があるので、台湾中の現存する武徳殿を見て回っています。
ブログでカテゴリ設定しているのでご興味ある方はこちらをどうぞ。
今回は北斗の武徳殿に行ってきたので、その様子をお届けします。
目次
北斗の武徳殿を巡る
武徳殿とは
武徳殿とは戦前日本が日本中に作った武道を奨励するための、いわゆる武道館です。
1895年に組織された大日本武徳会という政府の外郭団体が主導で日本全土に設立しました。
武徳殿という言葉がいまいち聞き慣れないのは、戦後、GHQに大日本武徳会が解体されてしまったからです。
北斗の武徳殿
「つーか、北斗ってどこよ?」
と思う方も多いかもしれないので’、まずはそちらの説明から。
僕も北斗ってどこよ?って思っていました。
北斗は、今だと彰化県の北斗鎮です。
台中の隣の彰化市…からはちょっと離れた、彰化県の南の方。
![北斗の位置](https://taiwan-gyunikumen.style/wp-content/uploads/2019/05/d5e8dfbdc8cb64ef455439b3b6ca0325.png)
メジャーな交通手段だと、台湾高速鉄道の彰化駅の辺り(真西に5キロくらい)です。
で、台北から高速鉄道にのって遥々やって来たにも関わらず…
![北斗の武徳殿](https://taiwan-gyunikumen.style/wp-content/uploads/2019/05/IMG_6361.jpg)
こんなんなってました!
現存してないなんて知らなかった!
これは完全に僕の調査不足です。
残念でしたー、ってことでは惜しいので、一応写真とか撮りました。
ちなみにこれを正面(?)から見てみると…
![北斗の武徳殿の痕](https://taiwan-gyunikumen.style/wp-content/uploads/2019/05/P1720171.jpg)
こんなかんじ。
おおっ、多分ちょん切られてます。
アップにして見てみましょう。
![北斗の武徳殿の痕](https://taiwan-gyunikumen.style/wp-content/uploads/2019/05/b529d6e45343112078506847ca823bd8.png)
あら、やっぱり…。
明らかに「最初っからこうだった」とは思えない造形。
で、こちらに当時のお写真を見てみることに。
北斗古文書老写真デジタル化計画ってページで「北斗武德殿落成記念」の写真を見つけました。
![北斗の武徳殿](https://taiwan-gyunikumen.style/wp-content/uploads/2019/05/f14fa097562c9c0f1c9b9a81cf4f5ff3.png)
当時はイカしてましたねえ。
で、比べてみると。
![北斗の武徳殿の今昔](https://taiwan-gyunikumen.style/wp-content/uploads/2019/05/bdac11d2f2e56324fe086a8c63614fec.png)
ああ…、これだわ。
偶然ですが、角度が完全一致。
(誰かの先行研究を引いたわけじゃないので、間違ってたら教えてください〜)
こりゃ無念。
北斗の武徳殿に行って来た、まとめ
北斗の武徳殿は跡形しかなくなってました…。
北斗の武徳殿跡の場所
おそらく彰化縣北斗鎮光復路238號のあたりにあったものと思われます。
現在は彰化県地方税務局北斗分局があります。
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