[台湾歴史]新荘の武徳殿に行ってきた、けど存在を確認できなかった
はいどうも、新荘で武徳殿を巡りをしてる人です、こんにちは。
台湾には日本時代の武道場である「武徳殿」という建物が残っています。
当時は日本中に武徳殿が建てられたため、もちろん台湾にも存在していました。
個人的に興味があるので、台湾中の現存する武徳殿を見て回っています。
ご興味ある方はこちらから一覧をどうぞ。
今回は台北市の隣、新北市にある新荘の武徳殿に行ってきたので、その様子をお届けします。
目次
新荘の武徳殿を巡る
武徳殿とは
武徳殿とは戦前日本が日本中に作った武道を奨励するための、いわゆる武道館です。
1895年に組織された大日本武徳会という政府の外郭団体が主導して日本全土に設立しました。
武徳殿という言葉がいまいち聞き慣れないのは、戦後、大日本武徳会がGHQに解体されてしまったからです。
武徳殿のある新荘とは
「つーか、新荘ってどこよ?」
と思う方も多いかもしれないので、まずはそちらの説明から。
新荘は、現在の新北市の新荘区です。
MRTで台北から行けます。
MRT新荘駅はこんな感じ。
2番出口を出るとすぐに「新荘廟街」の案内があります。
この辺は廟が多いんですよ。
その案内をみてみると、、
このような案内になっています。
それをまじまじと見てみると、、
「武徳殿」の表示を発見!!
早速ここを目標に行ってみましょう!
新荘の武徳殿の様子
ということで、MRTの駅から徒歩であっという間にたどり着きました。
新荘の武徳殿は新荘派出所のすぐ裏にあります。
新荘派出所はMRT新荘駅から歩いてすぐのところにあります。
この新荘派出所も当時の新荘郡役所とのことです。
あまり日本的な雰囲気がしませんが、どうなんだろう。
最近は新荘の区画整理で潰されそうになっているらしいです。
が、反対する住民も多いそうです。
当時の写真がこちら。画像はWikipediaの新荘の項目から。
似ているようで似てないように思います。
ところが、グーグルのストリートビューでうろうろしていたら、なんとなく似ている角度を見つけました。
前庭の駐車場の感じや窓の感じが似ています。
中華民国お得意の増築術で2階を増築したのかもしれません。
とにかく、目的は派出所観察ではないので武徳殿を探します。
派出所すぐ左横の路地を入ったところに、このような場所を見つけました。
左側のトタンで隠れている裏に日本家屋的なものが見えます。
先人たちの研究を拝見するに、ここの扉の奥に駐車場があり、その横に武徳殿があるみたいです。
ところがご覧の通り、扉があり、奥へ進めません。
ストリートビューでも確認しましたが、最近できた門なのかもしれません。
苦し紛れに扉上の空間からのぞいてみました。
が、やっぱりダメ。
原チャが止めてあるのだけがわかります。
もうちょっとどうにかならないものかと、付近をうろうろしてみます。
先ほどの画像の日本家屋的なものの左側に進むと、奥に進めそうな路地を発見しました。(大観街31巷)
この画像の左側に進めそうです。
(この画像は、派出所のある奥側から手前側に歩いてきて派出所側を振り返って撮ったかっこうです)
路地のぞいてみるとこんな雰囲気。
真昼間でも薄暗いっす。
すると周りはこんな感じ。
のぞいてみると、日本家屋っぽい。
しかしまあ廃墟。
ここも廃墟。
路地を反対側から見たところ。
結局、何も見つかりませんでした。
ぐるっと派出所を一周回ると、
派出所のすぐ右隣に「焼餅油條専売店」を見つけました。
1932年創業ということなので、当時からあったのかもしれません。
新荘の武徳殿、発見できなかった
ということで、新荘の武徳殿は発見できませんでした。
まだ取り壊されていないのかな、、
あったとしてもボロボロなのは容易に想像できます。
戦争で負けるということはこういうことです。
新荘の武徳殿の場所
MRT新荘駅からあるいて5分くらい
住所:新北市新莊區新莊路212號 のうら