[台湾の秘密]「レインボービレッジ」とか「四四南村」が本当はなんなのか知ってる?
はいどうも、台湾で散歩をする人です、こんにちは。
突然ですが、台湾の観光地で有名な台中の「レインボービレッジ」とか、台北の「四四南村」が本当は何か知っていますか?
いやまあ、本当も何もなく、読んでそのまま「村」なんですけど、ただの集落ではないのです。
これらはいわゆる「眷村(けんそん・ジュエンツン)」といわれる村なんです。
では眷村とはなにかというと、誤解を恐れず言えば「中国人の移住村」なんですね。
今回、その眷村についてちょろっと調べたので、いつも通り雑な写真と雑な文章でご紹介いたします。
これを読むと台湾の秘密をちょっと知った気になれるかも!?
目次
眷村とは何か
まずは「眷村」の概念から。
歴史的に、戦後は台湾から日本人が追い出されました。
その後に中国人(いわゆる外省人)が来ました。
(一般的には、現在この人たちとその子孫も含めて「台湾人」を構成しています。)
眷村とは台湾で「その中国人(外省人)たちが住んでいるエリア」です。
ついでに、Wikipediaを見てみると、
眷村は、台湾において外省人が居住する地区を示す名称。
1949年から1960年代にかけ、国共内戦で大陸を失った国民政府により台湾への移住が行なわれた中華民国国軍とその家族60万名が建設した家屋が密集した地区が誕生し、既存の集落と区別されてこの名称が使用された。
と、ありました。
僕の理解も概ねこんな感じです。
「レインボービレッジ」と「四四南村」は保存されている旧来の眷村
ではこの眷村、今も存在しているのでしょうか?
結論から申し上げると「基本的には、当初の眷村はもうない」です。
その理由の前に、まずは「当初の眷村」とはなんでしょう。
外省人は当面の住まい(永住ではなく)ということで台湾に住み始めたので、眷村の体裁は、基本的に「日本家屋の再利用」や「急拵えのバラック小屋」が多かった。
当然のことながら、それは仮住まいは「作りが甘い」。
「作りが甘い」から「火事などの災害に弱い」。
なので中国国民党が「こりゃもう中国帰れねーな」「ちょっと金できたから建て替えてやるか」と判断したタイミングで、「当初の眷村」を次々と潰して、大きなマンションを建てて移住させました。
つまり「一般的に想像しているような(バラック小屋の)眷村」は基本的には取り壊されていたり、大きな集合住宅に変わっていたりします。
(マンションに変わっても眷村は眷村ですが。)
だから「当初の眷村」はあまり見る機会がないのです。
そして「当初の眷村」を文化遺産として保存しているが「レインボービレッジ」と「四四南村」なんです。
(このほかにも保存されている眷村は各地にあります。)
なので、当初のテーマに戻ると、
「レインボービレッジ」と「四四南村」は、歴史的建築物として保存され、公開されている中国人居住区なんです。
大安森林公園は眷村だった
さて、ちょっと脱線しますが「旧来の眷村を潰して、大きなマンションを建てて移住させた」実例が、実は身近にあります。
それが大安森林公園と、その隣にある大安マンションです。
大安森林公園は東門の鼎泰豊の横にある巨大な公園です。
台北市のど真ん中にあるので、行かれたことがある方も多いかもしれません。
上の写真はMRTの「大安森林公園駅」の出口から撮ったものです。
右側に公園が広がっていて、中央の茶色いマンション群が「大安マンション(大安国宅)」です。
あまり知られていませんが、ここ、前まで眷村だったんですよ。
当時の様子がこれ。
他にも眷村の様子として、こんな写真も。
国共内戦で負けた国民党が撤退を繰り返し、流れ着いたのが台湾。
そこでの仮住まい反攻拠点なので、作りが写真で一目瞭然「シンプル」ですよね。
さらに、時代が時代なので、家がなくて困ってる外省人の友達とかを平気で住まわせちゃう。
その挙句、勝手に建物を増築・改築して(つまり違法建築「違建」)命を繋いでいたわけですね。
その結果、「こういう様相」を呈した村が台湾各地に出来上がったわけです。
眷村だったころが上の写真で、公園にしているのが下の写真です。
ついでに、ネット検索してたらこんなのも見つけました。
その後、大安森林公園を建設するにあたり、ここに住んでいた人たちは、みんな移住させられました。
で、移住先のマンションも見てきました。
これが大安マンションの建国路側の門。
入れないかもと思っていましたが、侵入できました。
こんな感じのマンションが並んでいます。
広場的なものもありました。
なんか日本人の一般的な「台湾」より、「中華」な感じしませんか?
個人的には蘇州とかの雰囲気が漂ってきたような気がしました。
旧来の眷村の様子
さて、眷村の今昔を見てまいりました。
ここまで見てくると、さらに「旧来の眷村」の様子も見てみたくなるのが人情というものです。
ただやはり、もうないんですよね。
古くて小汚いし、消防的な観点からも終わってるんで。
と、ロクに調べずに勝手に結論をしていたのですが、先日の散歩で偶然、その片鱗を見つけてしまいました。
おお!まじか!!っつって感動しました。
それがこちら博愛新村。
そのエリアの始まりの様子。
長屋のような感じで、平屋の細長い空間です。
恐る恐る中に入ってみました。
おお、これあれだ、写真とかビデオでみたことがある旧来の眷村スタイル!
反対側からも。
屋根の形式的に日本家屋を改築したのかな?
それにしてもすっげえ。
DVDで見た林森公園になった眷村と同じ雰囲気。
こちらは道を挟んで反対側。こんな様子。
当日は雨模様でしたが、そんなの関係なく薄暗い。
そしてそして、一番感動したのが、ここ!!
公衆トイレ!
近くでみた公衆トイレ。
これ、明らかに観光客や、道ゆく人向けじゃないんですよ。
つまり、住んでる人用なんです、きっと(裏は取ってない)。
なぜそう思うのかというと、眷村に関する本に「一軒の家にトイレはないので、共同のトイレがあった、朝は順番待ちで大変!」みたいな記述があったことを覚えていたからです。
きっとそう、たぶんそう。
すっげー!(裏は取っていない)
それにしても、こんなところにまだこのような家が残ってたとは。。
(地方とか行くともっと明顯に残ってたりするのかもしれないけど、知らんもんは知らんし、偶然見つけたから運命感ひとしおだったんです)
ちなみに場所はこちら。
小南門駅から歩いてすぐ。
居留証などを申請する移民署からも近く。
ただし、観光地ではないので、もし行かれても住民の迷惑になるようなことはやめましょう。
※「博愛新村」という名称はグーグルマップから取得しました。
それ以外の資料でこの名称が見つからないので、もしかしたら間違ってるかも。
なので、最悪、眷村ですらない可能性もあります。でもテーマが「眷村の幻影を見た」なのでご容赦。
台湾の眷村って一体なんなのか、まとめ
ということで、
・「レインボービレッジ」「四四南村」って一体なんなの?
・「眷村」とは?
・「眷村」のその後は?
に、ついて駄文を晒してまいりました。
台北を歩いていたり、バスに乗ると「○○新村」とか「○○新城」をよく見かけると思います。
あれ、眷村なんですよ。
こういう文化があるということを頭に入れておくと、ただの散歩でも新しい発見があるかもしれませんね。
おわり。
あーあと、外省人について興味が出ちゃった方はこちらもどうぞ。
→外省人と中国国民党ってどうなの!?(弊ブログ)
国宅(国民住宅)について興味がでちゃった方はこちらをどうぞ。
ーーーおまけーーー
本文に記述するつもりで調べたけど、ボリュームが増えすぎてしまったので割愛したエピソード。
・リージェントホテルの裏にある林森公園も昔は眷村でした。(西門の西本願寺も)
・四四南村があるんだから、四四西村とか四四東村もあるんかい?と思ったら、マジであった。
・忠孝東路六段の陸軍基地一帯は「龍華新村」、上海の部隊。上海には龍華寺という大きい寺がある。行ったことある。
・眷村の周辺は牛肉麺や北京ダックの名店が多い。
・日本人の友人が眷村のことを「部落でしょ」と言っていたけど、その表現は違うよなあ…と僕は思ってる。
・外省人は全員眷村に住んでいるというわけではない。(同様に、眷村に住んでいるのが全員外省人というわけでもない)