弘前の桜と岩木山と母
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叔父が死んだ
叔父の「重病」見舞いをするつもりで買った青森行きの航空券を使い、線香をあげてきた。
容体の急変で、見舞いどころか葬儀にも間に合わなかった。遺影に手を合わせ、遅くなってゴメンねと言ったが、写真の叔父はただ静かに笑うのみで、返事はなかった。叔父が寿命を迎えるであろう重篤な病を患っていることは前から知っていた。昨年の年末には僕の実家である埼玉に遊びに来ていたので、僕たちも話をしていたところだった。
葬儀では、喪主である僕の従兄弟が、そのマジメな雰囲気に耐えきれず遂に吹き出してしまったそうだ。それを見た参列者も「彼の息子らしい」と、つられて泣き笑っていたらしい。
叔父家族は仲が良く明るくて、叔父はまさにその大ボスだった。津軽弁がキツくて殆ど何を喋っているかわからないのだけれど、何でも楽しそうに話をする人だった。皆に愛された叔父が、僕も大好きだった。
弘前の桜祭りに行った
線香をあげた翌日、葬儀で吹き出したという従兄弟が、車を出してくれた。
僕と、同じタイミングで来ていた僕の母を弘前の桜祭りに連れて行くためだ。その日は、本当の空はこんな色をしているのかと思うほどの綺麗な紺碧の背景に、満開の淡く主張の控え目な桜が映え、さらに津軽富士といわれる岩木山の真っ白な残雪が見事なコラボレーションをしていた。
母がこの景色にずっとはしゃいでいたことが妙に印象に残っている。
地元青森の出身なのに「こんなすごい岩木山は初めて見た」と何度も繰り返していた。岩木山はその荘厳な形相から、古くから山岳信仰の対象とされ、陸奥を守ってきた。カメラを持っていけばよかったと後悔した。
母の矜持
その晩、皆でテレビを観ていると「親が死ぬ前にするべき3つのこと」みたいなテーマで松方弘樹のバカ息子がくだらないことを喋っていた。
内容は無い様なものだったが、テーマがタイムリーだったので色々と考えてしまった。
翌日、僕の台湾への帰り際、叔母が「来てくれてありがとう」とポチ袋を渡してくれた。まさか三十路を超えて親戚から小遣いをもらうとは想像していなかったけれども、叔母が「わざわざ外国から本州の最北端まで来てくれたことが、本当に嬉しかった」らしいと母から聞いた。小遣いをもらったことより、母が僕の行いを誇っているらしいことが、なんだか嬉しかった。
台湾への機内、モニタリングという番組で、成人した娘が母の日に生まれて初めて母へプレゼントをする、という企画を放映していた。「これまで育ててくれてありがとう」的な陳腐な内容で、非常にありきたりな様子ではあったけれども、却ってストレートな表現だったことで、色々と考えていた僕は、自分でも驚くほどに、ぎゃんぎゃんと泣いてしまった。
人間が生きる価値
僕は台湾で日本からの出向社員という形で働いている。
台湾の出資先に業績改善と監視という期待をされて、普段「どうしたらもっと大きな仕事ができるだろう」とか結構真面目に考えたりしている。さらには恐妻家のため「妻の機嫌が悪くならないためにはどうすれがいいか」とか下らない煩悩も多い。そんなばかりだけど、ふと、死んだ叔父の孫である従兄弟の子供たちとその一時を楽しむことだけを目的に、ただただ追いかけっこをしたりして遊んだのを思い出しながら、北野武が言ったという「生まれて・生きて・死ぬ、これだけで人間は大したものだ」は真実なんだろうと心から理解した。
きっと、たったこれだけで、人は生きている価値があるのだろう。
機窓の岩木山
母も還暦を過ぎた。
あと何回はしゃがせられるかと思っていたら、台湾へ向かう飛行機の窓から岩木山が見えた。
一片の雲すらかからず、雄大なその姿はまさに津軽の富士だった。
ケータイで写真を撮り、LINEで母に送ったら「あら、綺麗ね」と、返事があった。
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