僕と台湾の馴れ初め

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今でこそ頻繁に海外旅行を楽しみ、台湾に住んでいたりしますが、当初は全く海外に興味がありませんでした。

初めてパスポートを取得したのは大学の卒業間際、就活終了後でした。

そもそも何故パスポートを取得したのかというと、まさに台湾に来るためでした。

ではなぜ台湾に?というところから話をしないといけません。


大学四年生の時に、ある英語の授業を履修しました。

ちょっと変わった授業で、とにかく会話を重視する授業でした。

当時の僕はとても世界が狭くて、英語も全然ダメでした。

きっかけは当時の親友にその授業を誘われたので、なんとなく履修しただけです。

ところが、授業に出てみると帰国子女みたいな、今でいう意識高い系の皆さんばかりで。

ペラペラなんですよ皆さん、英語。

で、その中で僕だけ「アイムファインセンキュー」状態。

これがなかなか辛い。

僕だけ「あの子かわいそう、どこの子?」みたいな感じ。

それがなかなか辛かったので、いい機会だと思って、中学英語から勉強し直したんです。


僕は大学の付属高校に通っていたので、大学受験していません。いわゆる裏口入学。

気合い入れて勉強したのは中学の時だけでしたが、その時の財産があったので、

勉強し始めたら意外と数か月でペラペラ喋れるようになりました。

授業にもようやくついていけるようになり、半年後、

「パソコンを使ってテレビ電話で台湾の学生と会話しよう」という回があったんです。

そこで知り合ったのが台湾人のD君でした。


それは2週間に一度、30分程度、英語で会話する授業でした。

学期が終わる頃、メールアドレスを交換しました。

このメールアドレス交換が後にドラマを産むことになりました。

また、この授業で「英語を勉強しよう」というモチベーションになっていたので、

アルバイトでビジネスホテルの受付を始めていました。

池袋に位置していたので、外国人宿泊客率もそこそこの高さでした。

その中でも台湾人と香港人が多かったです。

そこでようやく思い出したのが、大学1年のときに第二外国語で中国語を勉強していたことでした。

実は、そうなんですよ、中国語勉強したことあったんですよね、僕(笑

しかも、変な学校なので、第二外国語のくせに週に4回も授業があるんですよ。

多すぎ。

なので、ほとんど忘れていましたが、ピンインは読めるし、発音もなんとなくわかるレベルでした。

ここで中国語に多少興味が出ていたんですよね。


前置きが非常に長くなりましたが、

①台湾にD君という友達がいる

②中国語、多少いける

この理由と、安い・近いというのもあり、台湾旅行でもしようか、となったわけです。


そしてゴールデンウィーク前後だったと思います、D君に会いに来たわけです。

そこで、まあビックリ。

D君が超優しかったんです。

いろんなところ連れ回してくれたし、友達紹介してくれたし、ご飯食べさせてくれたし。

実際は初めて会う、学校の授業で知り合っただけのよく分からない外国人に、ですよ?

感動したわけですよ。

すごいぞ、と。

ありがたいぞ、と。

それはもうカルチャーショックで。

あと、一人でタクシーに乗った時のこと。

理由は今でもわからないんですが、運ちゃんが料金をまけてくれたんですよ。

当時の僕は「旅行者にやさしい!」とこれまた勝手に感動してしまったり。
(その後台湾でタクシー負けてくれたことないから何らかの誤解だろうとは思います)

それ以外にも、街中の人たちも優しいし、もう、わけ分からなくなったんですよね。


帰国後、台湾と日本の関係史を改めて調べました。

そしたら、もうね、面白い面白い。

知りませんでしたもん、当時。

昔、台湾は日本だったっていう事とか。

そうそう、他にもう一つの理由、マンゴーかき氷がめちゃくちゃ美味しかった。

永康街の、当時はアイスモンスターだったんですが、これにも感動したんですよね。

本当に美味しかった。季節が最高に良かったんでしょうね。

それからのめり込むように台湾にはまっていきました。


そして、その年の夏休みに大学のプログラムを利用して短期交換留学。

淡江大学で3週間の中国語研修に参加しました。

で、またこの3週間もめちゃくちゃ楽しかったんですよ。

そりゃそうですよ。

台湾好きばかりが集まって、3週間台湾合宿ですよ。

楽しくないはずがないです。

当時の仲間は今でも仲良く、連絡をとりあってます。

午前中は中国語勉強して、午後は遊びに出かけます。

毎日毎日遊び惚けるわけですね。

台風が来てみんなにやめろと言われつつも友人4人で台南にも行きました。


これでもっと台湾が好きになって。

台湾好きの方は経験あるかもしれませんが、いわゆる「台湾中毒」状態。

日本に戻っても口癖のように「台湾いきたいー」と言っていました。

僕にとって初めての海外体験だったってこともあったと思います。

22歳で初めての海外体験だったのに、結局その年には4回訪台しました。


そして、卒業間際の春休み。

同じ交換留学プログラムで台中の東海大学へ。

こちらも同様に楽しかったです。

淡江大学では30人くらいの学生がいましたが、こちらは10人くらい。

濃密な時間を過ごしました。

この時の友達も今でも付き合っています。

また、この時から台中との縁ができたように思います。

これ以来、仲良くなる人になぜか台中人が多いです。

そして大学卒業、就職。


新卒で勤めた会社はとてもとても「海外」とは程遠い会社でした。

その上、サービス業だったので、休日がカレンダー通りじゃなく、台湾に行けなかったんですね。

なんてったって、3連休が年に3回しかない会社で。(笑

もちろん有給も使えない状態。(笑笑

なので、3年で辞めて、台湾にワーキングホリデーすることにしました。


ワーキングホリデーとはいってもバイトはしませんでしたが、

資金はほんのちょっとでしたし、日本はやっぱり転職に不寛容な文化。

それなりに学ばないと、帰国後に就職難だというプレッシャーと共に台湾にきました。

今度の学校は台湾大学(の語学センター)。

学歴コンプレックス(笑)なんで、旧帝大とかカッコいいじゃないですか。

そこで半年勉強しました。

中国語の先生も大好きになって、ワーホリ終わった後も台湾来るたびに会ってました。

本当は3ヶ月で帰る予定だったんですが、延期しちゃいました。


ところが延期決定直後から初めてしまったのがドラゴンボート。

端午の節句に大会がある、あれです。

これが、毎日練習するんですよ、朝イチで。

始発MRTで淡水の方に行って、全力で船を漕ぎまくるので、疲れて勉強どころじゃなかったです。

でもこれも楽しかった。

当時悩んで、船を取るか勉強をとるか、結局船(の友達関係)をとりました。

この選択が正しかったのかはわかりませんが、

そこで今でもお世話になってる、台湾妻をもつ先輩や、

結婚式でスピーチしてくれるような友人、

同じく後に台湾人と結婚しちゃった日本女子とかとも友達になりました。

大人になってから新しくこんなに親しい友達作るってなかなか難しいですよね。

だから、これはこれで良かったと、今は思っています。

で、ボート仲間の遊び友達と遊んでいる中で知り合ったのが、

当時大学院に通っていた #ウチの台湾妻です。

ここからデートするようになり、付き合い始めました。


その後、5年の遠距離恋愛を経て2016年に結婚しました。

ちなみに妻(当時彼女)とは、

①3ヶ月に一度は会う

②毎日テレビ電話する

というルールを決めていました。

ボートの試合も終わったので、日本に帰国しました。

運良く、台湾企業の日本法人で仕事が見つかりました。

出張なんかもあり、台湾との縁は途切れませんでした。

ただ、一つ不満が。

台湾企業の日本法人なので、出張機会はありますが、駐在機会がない。

ここまでどっぷり台湾に浸かると、やはりいつかは台湾で生活したい、と思っていました。

そんなおり、台湾で知り合った友人からある話をもらいました。

彼女もまた台中人で、日本の人材会社で働いていました。

彼女が「台湾駐在案件があるよ」と会社を紹介してくれたのです。

その採用面接がトントン話で進みました。

ところが、最後の最後で「台湾の人材は埋まってしまった」と言われました。

タッチの差で他の人に奪われてしまったわけですね。

意気消沈したところ「上海でもいい?」と言われたのでオーケーしました。

これが上海に行くきっかけでした。

台湾企業の日本法人をやめて上海に渡りました。


そのころ、妻も大学院を卒業したので、上海で同棲し、結婚しました。

上海では2年過ごしましたが、お腹いっぱいになったので、台湾へ引っ越して来ました。

そして現在に至ります。


初めての海外旅行を台湾に捧げ、

台湾人に優しくされて、

日台関係史に興味を惹かれて、

留学が楽しくて、

ワーキングホリデーを経て、

台湾企業に転職して、

上海経由で台湾に帰って来ました。


完全に台湾に人生変えられました。

いつまで台湾にいられるかな〜

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