過ぎたるは及ばざるが如しな事象を見た

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「コミュニケーションは感謝に基づいている」のかもしれない。

 

むかーしむかし、僕が中国語を喋り始めた頃、非常にもどかしいと思ったことがある。それは「感謝が伝えきれない」ことだった。今でも時々思い出す。

 

そもそも台湾の人たちのことが好きになって始めた中国語の勉強だった。現地で彼ら彼女らに良くしてもらいコミュニケーションをとる。それで言葉が伝わらずもどかしくさを覚えることも多々あった。しかしそんなのは、僕は所詮外国人だし、たいした不便ではない。でも台湾を離れなくてはいけない時に、一人一人に挨拶をした。その時、切実に感じたのが「それ」だった。

 

当時はたった一ヶ月程度の滞在だったから、ようやくコミュニケーション取れる程度よ。一般会話なんて、表情読んでりゃどうにかなる。でも、それなりの感謝を伝える時になって初めて気づいた、そのボキャブラリーの貧弱さに。流石にその後はそれなりに勉強したよね。

 

言葉は恋人作ればなんとかかんとかとか言われるけど、本当はそうではないのでは? 多くの人にとって、潜在化していることが殆どだけれど、結局のところ、人はみんな、感謝を伝えたくてコミュニケーションをしたがっているのではないだろうか。こんな感じにさ。

 

 

 

ところが人はその進化と共に、恨み節すらも言えるようになってしまう。Twitterでも呪いの言葉をよく見かける。呪いの言葉は自分の体内から排出しているつもりでも自分の周囲に漂流する。わかる人はその雰囲気をことごとく捕まえてしまっている。

 

言葉の使い方は難しい。

過ぎたるは及ばざるが如し。過猶不及。

  

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